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青葉台旭ブログ

青葉台旭が日々思う事を書きます。未整理の思考の断片も書いていきます。整理された思考は http://aobadai-akira.hatenablog.com/ に投稿しなおしていますので、そちらもよろしくお願いします。

SFが行きわたった結果、SFであることに意味は無くなった。

映画や小説にSF的要素が多少含まれていても今は誰も驚きもしないし、拒否反応も示さなくなった。 そして、良い意味で特別視される事もなくなった。 つまりSFであるというだけで事で差別される事も無くなり、そのかわりに、SFだから特別、という感覚も…

自分と世間とは、常にワンペアである。

「私である」と「私以外の全て」が、ひとつのペアになっている。

フェイスブックもツイッターもはてなブログもタンブラーもミディアムもノートもカクヨムも小説家になろうも、みんなまとめて「コンテンツ管理サービス」だ。

それぞれのサービスが互いの良い所を取り込んで、その結果境界が曖昧になって、もう、SNSとブログサービスの違いとは? っていう議論自体が無意味になった。 要は、これら全部、自分のコンテンツ(主に自分が書いた文章)を投稿して管理するサービスとい…

「tumblr は自分のページをカスタマイズできる」には落とし穴がある。

どんなにカスタマイズしても、個々の記事はフォロワーのタイムラインに表示されるだけ。 訂正。 長文の場合、クリックすると元のサイトにもどる。 再度訂正。そういう訳でもないらしい。

そろそろ「ブログ」「ブロガー」に代わる名詞を探したほうがいい。

最新型ブログは、本当にブログなのか。

別のものに進化している。

日が、少し短くなったな。

冬来たりなば春遠からじ、夏来たりなば秋遠からじ、という訳だ。

ブログには二つの機能がある。書くための機能と読むための機能。

結局、インターネットの機能は4つしかない。作成し、保存し、公開し、閲覧する。

ネット上のあらゆるコンテンツは、 誰かが作成し、 世界のどこかにあるハードディスクに保存され、 URLと紐づけられて公開され、 世界の誰かに見られる。 これだけ。それ以外は、付加機能だ。

コンテンツ投稿/閲覧サービスに於いて、ログインして最初に表示される画面は大事。

最近は、そこにフォローした相手の投稿がタイムライン状に並んでいるのが流行だ。しかし、それが本当に正解なのだろうか。

西暦2000年代のウェブの画面構成は総じてごちゃごちゃしていたのかもしれない。

2000年代のウェブ・サービス 西暦2000年代のウェブの画面構成は総じてごちゃごちゃしていたような気がする。3ペインで、フォントが小さく、要素ブロックが多く、小さなブロックが一つの画面にたくさん詰め込まれていた。 2010年代のウェブ・サ…

フェイスブックの画面構成は、何とかならんか。

ごちゃごちゃした3ペインで、全く使う気がしない。 世界中で、何十億人という人間が、あのごちゃごちゃしたインタフェースを使っているのか。

はてなブログ内の検索では、複数条件による検索や、段階的な絞り込み検索が出来ない。

パンくずリストに意味なし。

イーサン・ホークは、「駄目な父親」役をやらせたら世界一の俳優だ。

イーサン・ホーク主演の映画は、そのダメオヤジっぷりを見るだけでも笑えて、それだけで、得した気分になるのだが、最近まで未見だった「ガタカ」をやっと先日観て、なんとイーサン・ホークが繊細で悲劇的な若者の役を演じていて、驚いた。 しかも、声まで違…

映画「ナイトクローラー」の主演ジェイク・ジレンホールは、歩き方が素晴らしく気持ち悪い。

いかにも気持ちの悪い、何考えているんだか分からないという主人公のキャラクター設定が、歩き方に良く出ている。 前の記事でも書いたのだが、映画で演じている俳優が「どんな歩き方をするか」は、とても大事だ。「どこにでもいる、ちょっとダサめのオバチャ…

映画「ナイトクローラー」の主演ジェイク・ジレンホールの顔は三年奇面組チックだが、実は「遠い空の向こうに」の主演だった。

「ナイトクローラー」は衝撃だった。 何が衝撃と言って、あの主演ジェイク・ジレンホールの気持ち悪い顔が衝撃だった。 ところが彼のキャリアを紐解いてみると、なんとあのロケット・ボーイズ映画「遠い空の向こうに」の主演ではないか。 ちなみに「遠い空の…

映画「残穢 -住んではいけない部屋-」の主演の竹内結子の「オバチャン演技」は素晴らしい。

言うまでもなく女優、竹内結子は美人である。とても端正な顔立ちをしている。 その竹内結子は、映画「残穢 -住んではいけない部屋-」では、中年の小説家を演じている。この「もっさりした、ちょっとダサめのオバチャン小説家」の演技が素晴らしい。とくに歩…

記事のタイトルのフォントと本文のフォントの大きさについて。

はてなブログ用のテーマを2つ投稿した。 AobadaiStyle5white AobadaiStyle6white AobadaiStyle5white が2カラムで、AobadaiStyle6whiteが1カラムだ。 どちらも、記事のタイトルと本文のフォントの大きさに、それほど差がつかないように気を付けた。 ツイ…

はてなブログの記事の中では、h3、h4、h5だけを使った方が無難かもしれない。

ツール・ボタンの見出しは、h3、h4、h5のみに対応している。 h1=ブログのタイトル h2=記事タイトル という解釈なのだろうか?

シンプルノートというウェブサービスでは、内容の最初の1行がそのままタイトルになる。

シンプルノートというウェブサービスがある。 エバーノート等と同じノートアプリなのだが、エバーノートが重厚長大であるのに対し、シンプルノートは文章をメモする事だけに特化している。 名前の通りシンプルであることを売りにしているのだが、感心したの…

フロー型の記事と、ストック型の記事を同じインターフェースで使えれば最高だ。

人間には、日々思ったことをつらつらとツイッターに書くような「フロー型記事」も必要だし、じっくりと構成を練って数年後に読んでもちゃんと意味が通る「ストック型記事」も必要だ。 その両方を同じインターフェースで使えれば最高だ。

それぞれに最適化されたインターフェースと、統一されたインターフェース。

ユーザーには、それぞれのアプリケーションに最適化されたインターフェースを使いたいという欲求と、統一されたインターフェースで全てのアプリケーションを使いたいという欲求がある。 ワープロと表計算ソフトは、それぞれの使用目的に特化した別々のインタ…

人間の脳には「短期記憶領域」と「長期記憶領域」があるらしい。

毎日毎日、毎時間毎時間、頭に浮かんで来る「思いの断片」のようなもの(その多くは、その瞬間には意味があっても、時間が経てば価値が無くなる事) 長い時間かけて熟成させ、構築し、記憶するべきもの 脳内には、この2種類があるという事だ。 なぜ、2種類…

記事にタイトルがあるのはストック型。タイトルが無いのは「フロー型」

ブログの記事にタイトルがあるのはストック型メディアだから。ツイッターやSNSの投稿にタイトルが無いのは「フロー型メディア」だから。 つまり、ブログは後々参照しやすいように記事タイトルを要求し、ツイッターやSNSは「今、読まれる事」だけにフォ…

ブログは「ストック型」で、ツイッターは「フロー型」

ブログは、投稿した記事が、分類されて保存され、1年後、2年後に読み直す事を前提にしている。 ツイッターやSNSのフィードは、時間が経つと記事がどんどん流れていって、むかし書いた記事を読み直すようには出来ていない。(可能ではあるが、それを目的…

ブログもSNSもメールもメッセージアプリも掲示板も小説投稿サイトも「文章投稿アプリ」だ。

最近は、文章よりも、インスタグラムみたいな画像専用SNSなんかの方が勢いがあるが、文章にせよ画像にせよ動画にせよ、自分が観たり聞いたり考えたりしたことを記事として投稿(=インターネットにアップロード)して、それが集積されて受け手のスクリー…

ツイッターがSNSとして扱われるのは、投稿にタイトルがないからかもしれない。

ブログには、普通、個々の記事にタイトルがある。 ツイッターの個々のツイートにはタイトルが無い。 フェイスブックなどの一般的なSNSも個々の投稿にはタイトルが無い。 個々の投稿にタイトルが無いと、「ブログに文章を投稿している」という感覚が薄れて…

SNSもブログもメッセージ・アプリも、結局、情報の最小単位は「投稿」である。

SNSもブログもメッセージ・アプリも、結局、情報の最小単位は「投稿」である。 メッセージ・アプリなら相手に送る「メッセージ」 ブログなら「記事」 ツイッターなら「ツイート」 これらは、例えれば、生物にとっての「細胞」であり、物質に例えれば「原…